倫理的利己主義
倫理的利己主義とは、どのような規範が正しいかを考える際に、「自分だけの『幸せ』をもたらすものがよい」とする考え方で、「規範についての利己主義」である。
目的論の倫理学ではあらゆる行為を目的達成のための手段と考える。
そして行為の善悪は目的の善悪で判断する。
その究極の原理は「幸せ」をもたらすものは善である、というものである。
ここで「その幸せは誰の幸せか」という問題が出てくる。
自分だけの幸せが究極の目的だとするのが利己主義、すなわち倫理的利己主義である。
利己主義に「倫理的」がつくと違和感を抱くかもしれないが、もう少し読み進んで欲しい。
純粋に自分以外の他者だけの幸せが究極の目的なら、それは利他主義である。
そしてみんなの幸せが究極的目的であるとするのが功利主義である。
「利己主義は倫理学の規範としてありえない」と頭から決めつけるなら倫理学は成り立たない。
倫理学とは規範の根拠について考える学問である。
したがって利己主義が悪いならどうして悪いのかを考えるのが倫理学である。
利己主義を「自分の欲望のためになら何をしてもいい」という意味とするなら、規範とはなりえない。
人の物を盗むことやだますことが容認されるなら、自分も盗まれたりだまされたりすることが日常的となる。
そのような社会は自分自身にとっても住みにくい社会であり、結局は自分のためにもならない。
自分の幸せという目的が達成できないのであるから、これは規範として破綻している。
そこで賢い利己主義者はできるだけルールを守るようになる。
尊敬を集めるために、他者のためにしかならないと思えるようなこともするようになる。
したがって利己主義者もその行動からだけではそうでない者との区別はつきにくい。
資本主義社会では自由な競争を認めている。
弱肉強食の世界であるかもしれないが、誰しもが敗者になる可能性もあるので、福祉制度もある程度整えられる。
お互い様であることを認めあった上で各自が自由に自らの幸せを追求する利己主義は、誰もが利己主義になってもその目的が破綻しないという意味で普遍化可能である。
したがって「普遍的利己主義」と呼ばれる。
この普遍的利己主義なら、規範になりえないと頭からは否定できない。
功利主義の説く「みんなの幸せ」という目的も、「みんな」の中でさらに誰が一番大切かという疑問を考えていくと結局「自分の幸せ」が一番という考え方とほとんど違いがない。
すなわち倫理的利己主義は古典的功利主義の前提であって、立派な規範だといえる。
だが、利己主義者がなぜそのようなことをしているのかの真の理由は「自分の幸せ」であって、他者の幸せではない。
他者を害しても自分は絶対報復されないような場合には平気で他者を害せるのが利己主義者である。
本当に倫理的利己主義が規範たりうるかどうか、は難しい問題である。
なお、純粋な利他主義
こそ規範として破綻している。
「困ったことに」他者の幸せとなることをすることで人間は自身も共に喜びを感じてしまうという「奇妙な」特性を持っている。
「他者の幸せのためにはなるが、それで自分自身は苦しみしか感じないことをすべきである」というのは、規範としてはありえない。
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